に投稿 コメントを残す

父との確執①

確執っていうか…支配の中で生きていくこと

過去ブログの家庭環境について思うことで、子供の頃の父の様子を少し投稿しています。

今週末は予定もなく、ゆっくりしています。もはや、老後ひとりの生活はこうなるのか?と思っているところです。

とはいえ、こうやって誰にも邪魔されずに、自分の時間をゆっくり持てることは、ワンオペで一人で子育てしてた頃には想像もできないことで、幸せなことだとポジティブに捉えたいです✨

父のこと

父は、一人っ子です。

父親(私にとっては祖父)が身体的ハンディがあり、コンプレックスを抱えていたため、自分も、自分の家族も世間にバカにされないように生きていたようです。

身体的ハンディがあっても

“素晴らしい父親なんだ!それを支える母親も素晴らしい!日本一の両親だ!”

“家はこんなにスゴイんだ!”

“うちは立派で最高なんだ!”

“自分んち以外はみんなバカ”

祖父母は常々そう言って育ててきたことが、父の言動から伺えます。

また、想像を絶するほど、すごく厳しかったらしく、成績が悪いと怒られるのはもちろんで、祖父がキレると大変だったそうです。火鉢に刺さっている、火箸を1本目を投げ、2本目を投げるということもあり、2本目が飛んでくると安心したらしいと、母から聞いたことがあります。

祖母がどんな母親だったかは分からないですが、母や私たち孫に対しても、すごく意地悪な人でした。

このような家庭環境で、兄弟もいなくて、たった一人で、普通の家庭がどんなかを知らずに育ったからまともな人格形成なんてできなかったんだろうなと思います。脳や心の発達が、正常に成長できなかったことは、本当にかわいそうだと感じています。

自分ちさえよければいい、自分さえよければいいという、自分の言うことを聞かない者は攻撃し排除していく、自分の都合のいいように解釈をするといった、自己中心的な人間になってしまい、76歳になった今でも、自分の生き方になんの疑問も抱いていなくて、ある意味スゴイです。

私を含め、こちらの一般常識や正論でまともに戦っても、怒鳴られたり、殴られたり、自分の存在さえ否定されるような暴言が怖くて、黙って従うことを選んできたので、ますます帝王になっていったんだと思います。

主人の退職は県外追放

以前も少し触れてますが、主人は結婚を機に、父の経営する会社に入社してくれました。

ですが、父と近い距離で仕事をしていたので、年中パワハラ、モラハラを受けていました。娘婿だから辞めることはないだろうという甘えもあったと思います。

売上未達の責任追及、主人への暴言、人格否定、主人の両親を罵ったりは日常でした。業務時間外や休日の呼び出し等、どんどん精神的に病んでいきました。

ストレスで病気になっても大変だし、社会復帰ができないほどの心の病を患う前に、退職を決断しました。

何度も何度も夫婦で話し合い、主人を守るために最善の選択をしたつもりです。

そして、父に退職を申し出たら、ブチギレでした。どう表現したらいいか分からないくらい、キレました。

主人と私は正座、長時間怒鳴り散らされ、主人は、二度とこの家の敷居を跨ぐな、自宅から出ていけ(私の自宅は、実家から30秒くらいのところ)と指示されました。

会社からは念書を書かされました。内容は、

あと他にも文言あったかもしれないです💦事実上、県外追放、業界追放です。

そんな権限、誰が持っているんだ?と疑問と怒りでいっぱいでした。

会社を辞めた後のことまで指示されるなんて、絶対におかしい!と言っても、母も兄妹も、誰も何も言えませんでした。公的なところへの相談や、弁護士への相談も考えましたが、後が怖くて、とてもできませんでした。

父の指示に従うしかなく、主人は県外の実家に戻り、就職先を決めました。

それが完全別居のスタートで、離婚への道に繫がりました。

最善の選択をしたのに、なんでこうなったんだろう…って今でも思いますが、父からされたことは、確かに離婚のきっかけではあったけど、私自身に原因もあったので、反省して前に進まないと✨と思っています。

でも、兄も妹も、夫婦そろって、家族みんなで毎日生活できていて、なんで私だけ離れ離れにさせられて、独りぼっちなんだろう?って、悲しくて涙が出てくる時もあるので、その時は自分を自分で抱きしめてあげることにしています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA