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【父親の支配】3年間の無視(シカト)と理不尽な八つ当たり。モラハラ父親の職場で私が耐え続けた理由と「娘としての生き方」②

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前回の記事(①)では、父が経営する会社で夫が激しいパワハラ・モラハラに遭い、退職を機に私たちが理不尽な「県外追放」を言い渡され、別居から離婚へ繋がってしまった経緯をお話ししました。

夫が会社を去った後、今度はその矛先が実の娘である私へと向かうことになります。

今回は、実家という職場で始まった3年間にわたる無視(シカト)の現実と、そんな父親の支配の中で、私が「娘としてどう生きるか」を見出すまでの心の葛藤を綴ります。

いま、同じように身内のモラハラや機能不全家族の関係に悩んでいる方へ、「自分だけじゃないんだ」と届くことを願っています。

1. 夫の退職後に始まった、実の父親からの「3年間の無視(シカト)」と暴言

私の勤務地は、自宅から歩いて30秒ほどの場所にある実家です。夫が退職した後も、私はその会社で働き続けるため、毎日実家に出勤しなければなりませんでした。

夫が退職を申し出たその日から、私に対する壮絶ないじめが始まりました。それは実に3年もの間、続くことになります。

基本的には存在すら認められない「シカト(無視)」の状態。かと思えば、突然呼び出されては、私の心をズタズタに引き裂くような言葉を容赦なく浴びせられました。

「お前も仕事を辞めろ」
「あんなバカと結婚しやがって」
「恩知らずが」
「お前は絶対に不幸になる」

数えきれないほど怒鳴られ、人格を否定される毎日。何度も「もうすべてを投げ出して、ここからいなくなってしまいたい」と激しい絶望に襲われました。

それでも、当時の私には経済的な不安があり、まだ小学生だった二人の子どもの未来を守らなければなりませんでした。仕事に対する責任感、そして頭の片隅にある「親不孝なことをしてはいけないのではないか」という罪悪感に縛られ、ただ耐え続けるしか選択肢がなかったのです。

実の娘をすぐ近くに置いて縛り付けながら、精神的な嫌がらせを執拗に続けるその姿に、当時の私は「この人はもはや地球の人ではない、宇宙人なんだ」と思うようにしました。そうやって心にフィルターをかけなければ、自分の精神を保つことができなかったからです。

2. 76歳になった今も続く「八つ当たり」と、独裁者が抱える本当の孤独

3年が過ぎた頃、ようやく少しずつ無視される日が減り、「おはようございます」「お先に失礼します」という最低限の挨拶に反応が返ってくるようになりました。

現在は一見すると普通の親子・上司と部下の関係に戻っていますが、お父様の機嫌が悪い日は、今でも私が「格好のターゲット(当たり役)」になります。過去のことをネチネチと蒸し返されて無視が復活することも日常茶飯事です。

最近でも、理不尽な八つ当たりで、昼食の席で突然「一緒に食べるな!」と激昂され、一人で食事をとることを強いられました。思いつく限りの幼稚な意地悪は、これまでにほとんど経験してきたと思います。

実の娘にこれだけのことができる人ですから、当然、社長という立場で「自分がパワハラ・モラハラをしている」という自覚は1ミリもありません。これまでにも多くの社員が同じように追い詰められ、会社を去っていきました。私の元夫も、その犠牲者の一人だったのだと思います。

けれど、こうして過去を文字にして客観的に見つめ直すと、不思議と父に対する怒りよりも別の感情が湧いてきます。

父は、本当にかわいそうな人なのだと思います。 心から笑い合える友達は一人もおらず、周りにいるのは利害関係だけで繋がっている人ばかり。その関係が終われば、みんな蜘蛛の子を散らすように去っていきます。傲慢に振る舞えば振る舞うほど、父は底知れない孤独の深淵に沈んでいるのかもしれません。

3. 離婚の寂しさと向き合いながら、私が決めた「これからの生き方」

今の私は、週末になると特に予定もなく、一人で静かに過ごしています。 朝昼晩の食事を一人でとり、誰とも話さない自由な時間。それは穏やかである反面、ふとした瞬間に耐えがたいほどの寂しさが押し寄せてくる時間でもあります。

数ヶ月前、私はこの「独りぼっちの寂しさ」にどうしても耐えられなくなり、寂しさを埋めるようにマッチングアプリに手を出してしまいました。その結果、世間で言われる「ロマンス詐欺」に遭うという、思いもよらない経験までしてしまいました(※この時の、なぜか最終的にお金が増えてしまった不思議な体験談は、また別の記事で詳しく書きますね)。

そんな波瀾万丈な経験を経て、今思うのは「何だかんだあっても、私は今、生きていられているな」ということです。

「父親のせいで、私の人生は狂わされてしまった」 そう恨みたくなる気持ちは確かにあります。父は母と50年も連れ添っておきながら、娘の「当たり前の結婚生活」を自分の手で引き裂いたことに対して、罪悪感どころか「俺の言うことを聞かないからバカを見るんだ、当然の報いだ」とさえ思っているはずです。その身勝手さは、到底受け入れられるものではありません。

しかし、自分の人生の本質的な責任は、親ではなく「自分自身」にあることも、今の私は理解しています。

親は選べないし、過去の傷を消すこともできません。それでも、私はどこかで父に感謝している部分もあります。だからこそ、これからの時間を意味あるものにするために、「娘としてどう生きるか」「悔いのない親孝行とは何か」を、自分なりの答えを探しながら生きていきたいと思っています。

4. 【結び】「生きていること、心が壊れなかったこと」それ自体が最大の親孝行

以前、父から「お前は一度も親孝行をしたことがない!」となじられたことがありました。

当時は恐怖で何も言い返せませんでしたが、今なら心の中で、自信を持ってこう言い返せます。

「どんなに理不尽な嫌がらせをされても、私が今日まで生きていること。
心の病気にならずに、カラダも健康でいること。
そして、今もあなたの傍に住み、仕事を続けて支えていること。
これ以上の親孝行が、一体どこにあるというの?」

心の中のモヤモヤをこうして文字に落とし込むことで、驚くほど自分自身と冷静に向き合い、傷ついた心を整理することができました。ブログという発信の場を始めて、本当に良かったと感じています。

私と同じように、親の支配やモラハラに苦しみ、「自分が悪いのかな」と自分を責めてしまっている方に、「あなたは決して悪くない」「生きているだけで素晴らしいんだ」というメッセージが届きますように。

▼ シリーズ記事はこちら

➡ 熟年離婚①体験談|別屑9年、まさか自分が離婚するなんて思っていなかった

➡ 熟年離婚②体験談|離婚届が届いた日の衝撃と、子供たちへ伝えるまでの9か月【50代女性の後悔と決断】

➡ 熟年離婚③体験談|離婚して1年半、新しい家族のカタチと私が叶えたい未来

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【父親の支配】モラハラで壊された結婚生活と理不尽な「県外追放」①

穏やかな日常の中で、ずっと胸の奥に仕舞い込んできた過去を少しずつ整理しようと思います。この記事は、かつての私と同じように、毒親や父親の支配・モラハラに苦しんでいる方、家族のせいで人生が狂ってしまったと感じている方へ届くことを願って書いています。「自分だけじゃないんだ」と、少しでも心が軽くなるきっかけになれば幸いです。


祖父母の異様な執着が生んだ、父という「怪物」の背景

私の父は、一人っ子として育ちました。 父の父親(私にとっての祖父)には身体的なハンディキャップがあり、強いコンプレックスを抱えていたようです。そのためか、祖父母は「自分たちも家族も、世間にバカにされてはいけない」と、異様なほど強い執着を持って生きていたと聞きます。

「素晴らしい父親なんだ!それを支える母親も素晴らしい!日本一の両親だ!」
「うちの家はこんなにスゴイんだ、立派で最高なんだ!」
「自分たちの家以外は、みんなバカだ」

祖父母が常々そう言って父を育ててきたことが、これまでの父の言動の端々から伝わってきます。 また、その教育は想像を絶するほど厳しかったらしく、成績への執着はもちろん、祖父がキレた時の恐怖は凄まじいものだったそうです。母から聞いた話では、「火鉢に刺さっている火箸を投げつけられ、1本目が飛んできた後、2本目が飛んでくると(もう投げられるものがなくて)ようやく安心した」という、信じられないエピソードもあるほどです。

祖母がどんな母親だったのか、その本質は分かりません。ただ、私の母や、私たち孫に対しても、とても意地悪な人だった記憶が残っています。

このような特殊な家庭環境の中、きょうだいもいないたった一人の空間で、「普通の家庭」を知らずに育った父。まともな人格形成ができなかったのも、ある意味では仕方のないことだったのかもしれません。脳や心の発達が正常に促されなかったのだとしたら、一人の人間としては本当にかわいそうなことだと感じます。

しかしその結果、父は「自分さえよければいい」「自分の言うことを聞かない者は攻撃し、排除する」「すべて自分に都合よく解釈する」という、極端に自己中心的な人間になってしまいました。76歳になった今でも、自分の生き方に微塵の疑問も抱いていない姿は、ある種の恐ろしささえ感じます。

私を含め家族はみんな、一般常識や正論でまともに話し合おうとしても、激しい怒鳴り声や暴力、存在そのものを否定されるような暴言に怯え、ただ黙って従う道を選ばざるを得ませんでした。その私たちの我慢が、父をますます「帝王」として君臨させてしまったのだと思います。


夫への激しいパワハラ、そして理不尽な「念書」と県外追放

そんな父の支配は、私の結婚生活にも暗い影を落とすことになります。

主人は結婚を機に、父が経営する会社に入社してくれました。しかし、父と近い距離で仕事をすることになった主人は、年中、激しいパワハラ・モラハラに晒されることになります。「娘婿だから、少々のことで辞めるわけがない」という、父の甘えや侮りもあったはずです。

売上が未達の際の執拗な責任追及、人格を否定するような暴言、さらには主人の両親を罵ることまで日常茶飯事でした。業務時間外や休日の呼び出しも容赦なく続き、主人はどんどん精神的に追い詰められ、病んでいきました。

「社会復帰ができなくなるほどの心の病を患う前に、ここから抜け出そう」

何度も何度も夫婦で話し合い、主人を守るために、私たちは退職という最善の選択をしたつもりでした。

しかし、父に退職を申し出たとき——返ってきたのは、言葉では表現しきれないほどの激昂でした。 主人と私は床に正座させられ、長時間のあいだ怒鳴り散らされました。そして主人は「二度とこの家の敷居を跨ぐな、自宅から出ていけ」と言い放たれたのです(当時、私の自宅は実家から歩いて30秒ほどの場所にあります)。

さらに、会社からは一枚の「念書」を書かされました。その内容は、理不尽極まりないものでした。

【念書の内容】
・県内の会社には就職しません
・同業種の会社に就職しません

事実上の「県外追放」「業界追放」です。 「そんな権限、一体誰が持っているというんだろう?」 胸の中は疑問と激しい怒りでいっぱいでした。「会社を辞めた後の生き方まで指示されるなんて、絶対におかしい!」と叫びたかった。けれど、父の恐怖に支配された母もきょうだいも、誰も何も言えずに下を向いているだけでした。

公的な機関や弁護士への相談も頭をよぎりましたが、「もし相談したことが父に知られたら、どんな報復をされるか分からない」という恐怖が勝ち、とても行動には移せませんでした。

結局、私たちは父の指示に従うしかありませんでした。主人は県外の実家に戻って次の就職先を探すことになり、ここから私たちの完全別居がスタートしたのです。そしてそれは、皮肉にも離婚への道へと繋がっていきました。


独りぼっちの夜に

「大切な主人を守るために、あの時は最善の選択をしたはずなのに、どうしてこんな結果になってしまったんだろう……」

今でもそう自問自答することがあります。父の仕打ちが離婚の大きなきっかけになったことは間違いありません。ただ、当時の私自身にも至らない点や原因はあったと受け止め、反省して前に進まなければいけない、と言い聞かせています。

それでも、ふとした瞬間に寂しさが押し寄せます。 兄も妹も、それぞれのパートナーと家族そろって、当たり前のように毎日を共に暮らしている。それなのに、「どうして私だけが引き裂かれ、今こうして独りぼっちなんだろう」と、悲しくて涙が止まらなくなる夜もあります。

そんな時は、静かに自分自身の肩を抱きしめて、「よく頑張ってきたね」と労ってあげることにしています。


次回と、読んでくださっている方へ

次回は、こうした父との関係が、私自身の性格や人生にどのような影響を与えてきたのか、もう少し深く掘り下げて書いてみようと思います。

いま、同じように複雑な家庭環境や支配に苦しんでいる方、過去の傷が癒えない方に、「自分だけじゃないんだ」と少しでも気持ちを分かち合っていただけたら嬉しいです。


(※最後に、私が心の整理をする上で参考になった本をいくつかご紹介しますね。)

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この記事はわたし自身の実体験をもとに書いています。