に投稿 コメントを残す

熟年離婚②

離婚①はこちら

離婚したのは、2024年5月初。結婚から21年目でした。

その時は、下の子は高校3年生になったばかり、上の子は留学中で不在だったので、下の子の受験が終わって、上の子が帰国するタイミングで、子供たちに伝えることにしました。

離婚届の証人には義父母が署名してあった

離婚届は、レターパックで届き、証人には義父母の署名がありました。

私は、主人、主人の両親から、あなたはNOですよ!と、自分の存在を否定されたような気持ちになり、すごくショックでした。

そして、父が主人に書かせた、あの念書を思い出しました。

書類1枚で、10年前のことを思い出したり、こんなに悲しい気持ちになるなんて、想像もしていませんでした。

主人は、早く提出したかったようなので、すぐに記入して返送し、しばらくして、役所から離婚届を受理しましたとお手紙が届いて、正式に離婚を確認しました。

離婚を誰にもバレないようにする

私は、子供たちはもちろん、自分の両親や兄妹にもバレないために、色々動きました。

まず、子供たちの扶養どうする?問題が起きました。

子供たちは、主人の扶養に入っていて、そのままでいられると思っていたのですが、ほんのわずかだけ私の方が収入が多かったため、私の扶養に入れなくてはならなくなりました。

総務の仕事は母がしているため、バレずにどう手続きするかを考えていた時に、ちょうど定額減税が始まるタイミングと重なったんです。それを理由にして、違和感なく、私の扶養に入る手続きをすることができました。

それから、高校の方にも連絡しなければなりません。高校授業料無償化など、世帯収入が変わるのことなど、事務手続き等が必要だからです。

この配慮は、本当にありがたかったし、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。

離婚から9か月後、子供たちに伝える

下の子の受験は2024年の内に終わりました。上の子が帰国する2月に、子供たちに伝えることに。

その日は主人もこちらの家に来て、話があるからということで、4人リビングに集合し、主人から離婚を伝えてもらいました。

子供たちは、マジで?!って本当に驚いたし、下の子は、泣き出してしまいました。本当に悲しい思いをさせました。

父(子供たちからみれば祖父)がきっかけなのは、子供たちもよく分かっています。

離れて暮らすようになって、主人と私がすれ違うようになり、主人はこれから先は実家で暮らしたいし、この家では暮らさないから、離婚することにしたと説明しました。

親であることは変わらないし、こうやって4人そろって過ごすこともあるし、経済的なことも今までどおりだから、何も心配しなくていいということを伝えて、子供たちも分かってくれました。

ずっと黙っていて辛かったので、子供たちが理解し受け入れてくれたことに、成長を感じました。

③へ続く…

バレエシューズ ぺたんこ パンプス オフィス レディース 疲れにくい ストレッチ 痛くない 幅広 SUaSHI スアシ 歩きやすい バレーシューズ ぺたんこシューズ 大人かわいい ぺたんこ 靴 バレエ フラットシューズ リボン 結婚式 ローヒール 1.5cm 日本製 [FOO-SN-R1631]

価格:9900円
(2025/12/5 20:52時点)
感想(82件)

【ふるさと納税】伝統製法熟成本みりん│ ミリン 味醂 みりん 本みりん 調味料 白扇酒造 3年 熟成 川辺 国産 米こうじ もち米 米焼酎 料理 本格 和食 純米 厳選素材 720ml 3本 セット ギフト 贈答 贈答用 家庭用 お取り寄せ 常温 保存 岐阜県 川辺町 (A-7/E-1)

価格:16000円
(2025/12/5 20:55時点)
感想(8件)

に投稿 コメントを残す

熟年離婚①

別居に至るまでの経緯は、父との確執①をご覧下さい。

自分が離婚するなんて思ってなかった

すごく仲も良かったし、優しくて大好きだったし、父と違って、いいパパで、結婚してよかったって思ってたのに。

この人となら、老後一緒にいたいと思って、結婚したのに、まさか自分が離婚を…。

主人とは大学のサークルで出会い、主人からの猛アプローチによって交際が始まり、5年付き合って、26歳の時に結婚しました。

結婚を機に、私の父の会社に入社し、計り知れないほどのストレスを抱えていたので、月に1回は、子供を連れて、主人の実家に遊びに行っていました。

主人は地元が大好きなので、実家に帰ればストレス解消になる、義父母に孫の成長を見せることで、主人の親孝行になると思っていたからです。在職中も、私は妻として、どんな愚痴も聞いて、“パパは頑張ってるよ”“パパは悪くないよ”って、いつも主人の味方でいました。

夫婦仲も良かったし、私と結婚しなければ、こんな苦労しなくて済んだのに…(父からのモラハラ、パワハラ)と、申し訳なく思っていたのと、どんなに辛くても勤めてくれてることに、すごく感謝していました。

でも、入社10年目、心身共にもう限界となり、退職を申し出て、主人は家も出て実家に戻りました。

徐々にすれ違っていきました

別居3年目くらいからでしょうか…歯車が狂い始めました。

理由は・・・

①在職中に主人から聞いていた、愚痴の内容に、作り話もたくさんあったことが判ったこと

②転職しても収入は心配しなくていいと言っていたけど、心配になってくる収入

信じていたのに、言ってることとやってることが違うって思えてきて、どんどん信じられなくなって、喧嘩ばかり。喧嘩しなくなると、会話もなくなっていくんです。

毎週末帰ってきてたのが、隔週になり、月1になりました。

子供の用事も成長と共に親の出番も減ってきて、主人の方から離婚したいと申し出がありました。

別居から9年くらいだったと思います。

下の子が18歳を迎える4月に、成人するし、親権問題がなくなるから、その頃が希望だと。

でも、学校への手続きも必要になるし、受験生だし、精神的ダメージがあるから、卒業まで待ってほしいと伝えましたが、主人の意志が固くて、主人の希望の頃に離婚届を提出すること承諾しました。

子供たちには何も話さずに、夫婦だけで話を進めました。

②へ続く…

に投稿 コメントを残す

父との確執①

確執っていうか…支配の中で生きていくこと

過去ブログの家庭環境について思うことで、子供の頃の父の様子を少し投稿しています。

今週末は予定もなく、ゆっくりしています。もはや、老後ひとりの生活はこうなるのか?と思っているところです。

とはいえ、こうやって誰にも邪魔されずに、自分の時間をゆっくり持てることは、ワンオペで一人で子育てしてた頃には想像もできないことで、幸せなことだとポジティブに捉えたいです✨

父のこと

父は、一人っ子です。

父親(私にとっては祖父)が身体的ハンディがあり、コンプレックスを抱えていたため、自分も、自分の家族も世間にバカにされないように生きていたようです。

身体的ハンディがあっても

“素晴らしい父親なんだ!それを支える母親も素晴らしい!日本一の両親だ!”

“家はこんなにスゴイんだ!”

“うちは立派で最高なんだ!”

“自分んち以外はみんなバカ”

祖父母は常々そう言って育ててきたことが、父の言動から伺えます。

また、想像を絶するほど、すごく厳しかったらしく、成績が悪いと怒られるのはもちろんで、祖父がキレると大変だったそうです。火鉢に刺さっている、火箸を1本目を投げ、2本目を投げるということもあり、2本目が飛んでくると安心したらしいと、母から聞いたことがあります。

祖母がどんな母親だったかは分からないですが、母や私たち孫に対しても、すごく意地悪な人でした。

このような家庭環境で、兄弟もいなくて、たった一人で、普通の家庭がどんなかを知らずに育ったからまともな人格形成なんてできなかったんだろうなと思います。脳や心の発達が、正常に成長できなかったことは、本当にかわいそうだと感じています。

自分ちさえよければいい、自分さえよければいいという、自分の言うことを聞かない者は攻撃し排除していく、自分の都合のいいように解釈をするといった、自己中心的な人間になってしまい、76歳になった今でも、自分の生き方になんの疑問も抱いていなくて、ある意味スゴイです。

私を含め、こちらの一般常識や正論でまともに戦っても、怒鳴られたり、殴られたり、自分の存在さえ否定されるような暴言が怖くて、黙って従うことを選んできたので、ますます帝王になっていったんだと思います。

主人の退職は県外追放

以前も少し触れてますが、主人は結婚を機に、父の経営する会社に入社してくれました。

ですが、父と近い距離で仕事をしていたので、年中パワハラ、モラハラを受けていました。娘婿だから辞めることはないだろうという甘えもあったと思います。

売上未達の責任追及、主人への暴言、人格否定、主人の両親を罵ったりは日常でした。業務時間外や休日の呼び出し等、どんどん精神的に病んでいきました。

ストレスで病気になっても大変だし、社会復帰ができないほどの心の病を患う前に、退職を決断しました。

何度も何度も夫婦で話し合い、主人を守るために最善の選択をしたつもりです。

そして、父に退職を申し出たら、ブチギレでした。どう表現したらいいか分からないくらい、キレました。

主人と私は正座、長時間怒鳴り散らされ、主人は、二度とこの家の敷居を跨ぐな、自宅から出ていけ(私の自宅は、実家から30秒くらいのところ)と指示されました。

会社からは念書を書かされました。内容は、

あと他にも文言あったかもしれないです💦事実上、県外追放、業界追放です。

そんな権限、誰が持っているんだ?と疑問と怒りでいっぱいでした。

会社を辞めた後のことまで指示されるなんて、絶対におかしい!と言っても、母も兄妹も、誰も何も言えませんでした。公的なところへの相談や、弁護士への相談も考えましたが、後が怖くて、とてもできませんでした。

父の指示に従うしかなく、主人は県外の実家に戻り、就職先を決めました。

それが完全別居のスタートで、離婚への道に繫がりました。

最善の選択をしたのに、なんでこうなったんだろう…って今でも思いますが、父からされたことは、確かに離婚のきっかけではあったけど、私自身に原因もあったので、反省して前に進まないと✨と思っています。

でも、兄も妹も、夫婦そろって、家族みんなで毎日生活できていて、なんで私だけ離れ離れにさせられて、独りぼっちなんだろう?って、悲しくて涙が出てくる時もあるので、その時は自分を自分で抱きしめてあげることにしています。